中国武当山の太極拳と道教のメッカ、その龍門派内の太極拳を創始した張三丰の一派「三丰派」の内丹術はあまりにも効果が高い上に、当時の王朝の権力がかすむほどの人気でした。
内丹について難しいことを言う人も多いですが、単純に自己の体内に存する精(生理機能)・気(エネルギーの働き)・神(心)を薬物とみなし、自己の身中に健康に有益な物質である丹を生成する煉丹術が内丹です。
鉱物を原料として練り上げた外薬を服用するのを外丹といいますが、体の内にそれ以上の効力が有る物質を作り出す方法が内丹であり、今や、医学が発展し、体内には多くのホルモンなど健康や痛みを取り除くのに有用な物質が生まれることは、はっきりと解明されています。
それが、この当時から道士たちが日夜研究して実践していたことなのです。
養生太極拳による内丹により、長寿を得ること、そして、「節節貫穿」という理論により、細胞の健康を維持するという経験科学が古くからありました。
内丹術は唐末期に隆盛し宋代に下火になって、出家主義をとる全真教に取り入れられた内丹術は、道教の道観のなかで受け継がれてきました。
全真教の教えを受けた張三丰もこの内丹を重視し、張三丰の全真教の龍門派では「口訣(口で言い伝える秘伝)」を旨とした「修法」の概要を書物に著し、多くの一般賛同者を外部に得て、政治家や軍人、文人などの在家修行者を増やしました。
張三丰は、導引術を特に重視し、張三丰直系の道士であり、武道の師範であった人物は「小さな池の中にいる鯉。その鯉たちは、原気を解放しているのであろうか?解放したなら、この池をもてあますのだろうか?いや、すさまじい原気を他と融合させる。生き物たちは先天的にその理で生きている。我ら人間も生き物。その生き物たちのように原気の解放を思いだしたなら、同時に融合がある。それを忘れては元も子もない。それを忘れさせてしまうのが後天の病である。我ら人間が陥っている途方も無い病である。」と言っていました。
いわゆる、行き場所の無い解放された気を融合する、そして、また新たな気を解放して融合させる、これを「吐故納新」といい、 古きをを捨て、新しきを取り入れる導引法です。
例えば息を吸い続けると、息を吐きたいという気が生まれます。
そして、その気を解放して息を吐くと、そこで快感が生まれますが、続けて吐き続けていくと、同時に苦しくなり、今度は吸いたくなります。この繰り返しになります。
このような状態は、気が高まれば高まるほど苦しさを伴います。
これはあたりまえのことです。これが痛みや病となる「邪気」です。
そして、邪気は魔境という場所に住みつきます。これが痛みのもとになるのです。
三丰派の内丹は、この邪気を魔境から追い出し、魔境を消し去るという「玄天上帝」の術として、中国の人々に広く響き渡り、信奉されていたのです。
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